国立大学は公共財だという言説を見かけた。

競合性と排除性があるからそもそも私的財なんじゃないか?

そうなると政府が提供しなくてもよい財になるのでは?

とか気になった。


まあたぶん、教育への政府支出の正当性は財の分類からじゃなくて、教育の正の外部性を人々が認識できずに過少に教育を施してしまうって言うところから正当性が湧いているんだろうなとは思う。